「西端さんはあれだねー。
なんでも全部、SNSやブログに書いちゃうね。
すごいね」
そんな感じのことをよく言われます。
「すごい」という言葉は便利。だいじょうぶ。それなりに長く生きてきて、自分の中でポジティブに変換できる能力は身につけました。褒め言葉です。ありがとう、褒めてください。もっとください。もっと。
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コロナで入院したあたりから、せっせと自分の病気や通院のことを発信しています。最近は数値なんかも全部晒しちゃったりしてね。数値だけでは人間としての器の大きさが伝わらないのは残念だけども(察して)。
広報や発信において自己開示は大事だと思うのです。特にちいさな会社、個人であればあるほどに。大企業のマネをして「お役に立つ情報を!」なんて意気込んだところで、続くわけがないじゃない。そもそも、誰がそれを見てくれるの。
仲間? 身内?
「広」く「報」せたいのに?
もったいない。
だから自分はせっせと病気のことも書きます、開示しています。
こうしていると、必ず共感してくれる人が現れます。反応をくれる方がいます。中には「実は自分も病気なんだけど、勇気づけられた」なんてメッセージをくださる方もいます。嬉しいよね、書いていてよかった。自分を晒して、伝えて良かったと思う。
広報の「報」って自分が報われるという意味もあるんだな、なんて考えることもありますよ。誰かのためにやるというより、自分がここまでを生きて、ここにいること、その事実が誰かに承認され、ときに称讃され、ときに役に立つ。こんな幸せなことはないなーって。
そうやって距離を縮められた同士、お仕事につながることもあるわけです。どなたかを紹介してくださることだってあるわけです。縁が縁を拡げ、深まっていく。その出発地点は自己開示。だから僕は伝える、伝え続ける、さらしつづける。
良いモノやサービスを売るのは、当たり前だと思うのです。商売とは、なによりも、ヒトを売ることなんじゃないかな、と。自分を、自分たちを伝える。痕跡を、歴史を残していく。そこに誰かの共感や理解が生まれる。
もちろん「病気のやつなんかと付き合えるかーーー」なんて方もいらっしゃると思います。でもそれもね、見えないんですよ、こっちからは。だってこっちの発信が先にあって、先方は自分の知らないところで、背中を見せて去っていくわけでしょう? ダメージはゼロです。だいじょうぶ。傷つかない。
自分を売りたい、自分を伝えたい。その言葉に反応してくださる方々と、お互いの人生や仕事がよりよくなることを試行錯誤しあって、将来はお茶飲み友だちになりたい。本気でそう思います。
僕が自分をさらす理由は、僕が幸せであるがために。
今日も「病院の検査結果、まったく問題なかったー」と大好きな方から連絡をいただきました。嬉しくて、その勢いで、このブログを書きました。支離滅裂です。でも嬉しいのです。そんな嬉しさを残すこともまた、自己開示です。また一歩、幸せになりました。なれました。