一年365日店を開けて商売をする父だったので、休みの日という概念が我が家にはなかった。家族で旅行をした最後の記憶は、自分が小学校2年生だったころにさかのぼる。
ある日父が店から帰宅すると、「明日鹿児島へブルートレインで旅行をするぞ」と突然宣言した。旅行ってこんな風に突然決まるものなのか!しかも憧れのブルートレインだなんて!
嬉しかった。自分はいわゆる鉄ヲタである。国鉄三ノ宮の駅のホームに停まるブルートレインを、いつもワクワクして眺めていたので、父もそれを覚えていてくれたのかもしれない。あまりの突然っぷりに母も怒ったような顔をしたが、今でも当時のことを笑い話にするので満更でもなかったのだと思う。
あくる日、三ノ宮の駅に行くと、入線してきたのはブルートレインではなく寝台特急と呼ばれるものだった。
それでもよかった。格好良すぎた。夜を徹して走る青い寝台特急。朝が来たら、僕たち家族は関西を離れて九州の地にいるのだ。
ただ、問題があった。
突然決めた旅行である。父も母も寝台列車のことに詳しいわけではない。現代のようにインターネットで何かを調べられる時代でもない。出たとこ勝負、寝たとこ勝負だと考えた父は、父と母、自分と弟の4人での家族旅行に、寝台(ベッド)は二人分で十分だろうという判断をしたのである。
無茶だった。無理だった。
大人と子どもが一緒に寝られるほど、寝台列車のベッドには余裕がなかった。窮屈すぎる。これでは九州へ行く前にあの世へ逝ってしまう。
父母は車掌さんにそのことを相談して、急遽、普通の座席を用意してもらうことになったのである。
かくして、僕の、僕たち家族の寝台体験は、わずか5分で終了してしまったのだ。父よ。
それでも、あの日の家族旅行の記憶と寝台特急583系のブルーの車体は永遠に色あせない。人生のどこか、戻れるときを選ぶとしたら、僕はそのうちの一つを、父のあの宣言の瞬間を指定して、同じ窮屈な過ちを繰り返すことを選ぶのだろうと思う。
あの日の父より年上になった。自分が同じ立場だったらどうだろう。「せっかく旅を計画したのだから、意地でも寝て思い出にしろ!」なんて言ってそうな気もするかな。小さな子どものためにわざわざベッドを用意するという発想は、たしかになさそうだ。
似ちゃったなぁ。
今日は、父と一緒に撮影した最後の写真というタイトルで書いた昔のブログを読み返していて、ふと思い出したことを書いた。お正月だし、自分へのお年玉として、この思い出の鉄道模型を買おうかどうか悩んでいる。